アビスパな男、グラウシオ
    GLAUCIO
DE JESUS
CARVALHO

1975/11/11

171cm/69kg

ブラジル




アビスパ福岡
05:37試合18得点
06:7試合1得点
        ■経歴

ポルトゲーザ(B)
   ↓
フェイエノールト(H)
   ↓
フラメンゴ(B)
   ↓
フェイエノールト(H)
   ↓
グアラニFC(B)
   ↓
アメリカFC(B)
   ↓
ラジョ バジェカノ・マドリッド(S)
   ↓
アルーカジシア(Q)
   ↓
パウリスタFC(B)
   ↓
アビスパ福岡(J)
   ↓
パウリスタ(B) 



2000年9月、私はそれまで10年住んでいた福岡の地を離れ、
スペイン・マドリッドに約1年の滞在予定で生活を始めました。
そんな時期に出会ったのがグラウシオだったのです。 

当時私が住んでいたマドリッドの1部リーグには2チームが所属していました。
ひとつは世界的な強豪チーム「レアル・マドリッド」です。
この時期のレアルは
「ラウル」「フィーゴ」「ホベルト・カルロス」という攻撃陣と、
「マケレレ」「エルゲラ」「イエロ」の守備陣というバランス良いチーム編成で、
成熟した安定と強さを持つチ−ム。 

残りのひとつはリーグの1部と2部を行き来する「ラジョ・バジェカーノ」で、
コチラはレアルとは真逆のとっても地味なチームです。
このチームを取り巻くものと言えば、負の要素のオンパレード状態。
スタジムは治安のよろしくない場所にあり、
所属選手で代表クラスはゼロ。
おまけに観客席に至っては、アウェイ側バックスタンドが無く
コンクリートの壁が立ちはだかっている始末です。

しかし私は、そんなダメチームのラジョにあることから親近感を覚え
毎試合見に行くことを決めました。
それは・・・ 
このチームのマスコットが「アビー君」の遠戚、
蜂の「Pica-Pica君」だったからでした。

ラジョは弱小チームがゆえに殆どの試合が苦戦続きでしたが、
そんな中でも私の目を惹く
左サイドのミッドフィールドのプレーヤーが1人いました。
的確なポジショニングとテンポ感の有るボール廻し、
そしてキレのあるドリブル

ピッチ上で攻撃面のキーマンのとして存在感を示しているプレーヤー。
そう、そのプレーヤーこそ、後に日本で再会する「グラウシオ」でした。

そして、時が過ぎ2005年、春。
既に帰国していた私に届いたのは
「アビスパ福岡、グラウシオと契約」ニュースでした。
あのグラウシオがアビスパにやって来たのです。 

既にJ2に降格して4年目シーズンを迎えたアビスパにとって、
2005年こそはJ1復帰が絶対の目標。
チームとしては絶対的なゴールゲッターの獲得が命題だったので、
彼の加入が正解なのか私は正直不安でしたが、
そんな不安はすぐに消えました。 

グラウシオはチーム内で1,2を争う、その攻撃センスの良さで、
まさに蜂のように相手ゴールに針を突き刺しFWとして大活躍!
左サイドの古賀誠史やアレックスとのコンビネーションからのゴールは
スタンドを度々湧かせてくれ、
最終的にはシーズン18得点(得点ランキング2位)をマーク。
そして、彼は4シーズンという長きに渡った
アビスパのJ2での闘いに終止符を打たせてくれた立役者の
一人となってくれたのです。

そんな彼でしたが、
J1定着を賭けた1年目の2006年6月には
アキレス腱痛や様々な不運が重なって
契約解除という残念な結果を迎えてしまいました。
プロ意識の強い彼にとっても、きっとやりきれない思いだったでしょう。

そして7月、彼は古巣のパウリスタと契約をしました。
恐らく彼のことですから、
今頃はまたピッチの上を蜂のように飛び始めている筈です。

最後に彼が話してくれたサッカー小僧な一面が見られたエピソードをひとつ。
それは2001〜2002年シーズンの対レアル戦でのことです。
彼は私に「この試合は見たのか?」と尋ねてきました。
見てないと伝えると彼は胸を反らせながら私にこう言ったのでした。

「あの試合で、俺はジダンに股抜きを決めてやったんだぜ!」と。

 

2006年8月 デポルティスタ


 

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